儲けたのは、まわりの人たち

1800年代中頃、カリフォルニア・ゴールドラッシュの話知ってるかな?

現カリフォルニア州で金が発見されて、一攫千金を夢見て全国から人々が殺到した。

この時、本当に儲けたのは採掘者ではなく、まわりのサポートやサービスを提供した人たちという話。

作業用の服としてリーバイスのジーンズが広まった話は有名だよね。

おそらく、一番儲けたのはインフラを整備した人たち。

鉄道なんか…。有名な1人がスタンフォードさんだっけ。

スタンフォードさんはゴールドラッシュ時に卸売業で財をなして、鉄道設立の出資者だったんだよね。

あのスタンフォード大学設立のスタンフォードさん。

実は、今でもゴールドラッシュはあるんだよね。

正確に言うと、本当のゴールドラッシュではなくて、幻かもしれないし嘘かもしれないゴールドラッシュ。

カリフォルニアのゴールドラッシュだって、みんなが幻想や夢を追ったのかもしれないし。

例えば、株式取引でみると、ネットの普及により株の売買手数料が安くなり、個人投資家も頻繁に取引しやすい環境になった。

そうすると、株式取引で財を成した個人投資家(デイトレーダーなど)が現れて、もてはやされる。

まさにゴールドが発見された状況だよね。

この流れは、株や仮想通貨などの金融商品だけでなく、なんであろうと成功者が現れればそれでいいの。

それで、ここでも儲けているのは、まわりにいる連中。

わかるよね。

怪しいノウハウなどの情報を売っているヤツらや、取り次いでいる仲介者などが儲けている。

「秒速で1億稼ぐ」なんて、怪しさ飛び越えて笑ってしまうよね。

でも、そんな笑いに魅せられて、共感する若者が多いから、お父さんは顔がひきつっているけどね。

お金の使い方の一つに「投資」があるよね。

それで、自分自身へのスキルアップなどへの投資以外へ投資する時には、ゴールドラッシュの話を思い出してほしいんだ。

まず、その投資の仕組みを考えてほしい。

どうやって、誰が、どのくらいリターンがあるのか。

そして、その投資の情報元は誰なのか。

信用できないヤツから、マトモな投資話はないから。

「儲けたのは、まわりの人たち」って真理だから。

安易に金を掘りに行こうとしないでほしい。

お金に関して、特に若い時の投資については、いつも保守的な考えになってしまう。

お金儲けについて肯定論者だけど、あやしいゴールドラッシュが多すぎる。

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身近から大切に

以前、ボランティアで貧困や悩みを抱えている若者の手助けをしている元暴力団員のドキュメンタリー番組を観た。

元暴力団員は、自分の過去の過ちを活かし、弱者や若者の更生を手助けしている。

そして、元暴力団員の妻もインタビューされていた。

「夫は、家族には何もしない。もちろん生活費も入れない」

「夫は、世のため人のためが一番だから」

こんな感じのことを話していたように記憶している。

この番組をみ終えた時、なんとも言えない違和感があった。

たしかに元暴力団員は、いま、人助けをしている。

助けられ、救われて、感謝している人もたくさんいるだろう。

しかし、奥さんや子供たちを助けているようには見えなかった。

一番身近な家族を助けず、遠くの人を助ける。

カンボジアに小学校を建築するために多額の寄付をしている経営者を知っている。

カンボジアに行って、現地の人たちに感謝され、子供たちの笑顔の素晴らしさを語っている。

ところが、経営している会社の社員にはパワハラ、セクハラなど、ここで書けないようなことを平気でしている。

逆だろう。

まずは、社員のみんなを幸せにして、それからカンボジアの子供たちだろう。

元暴力団員も経営者も同じ。

周りの身近な人たちを幸せにすることなど、まったく考えていない。

お父さんは、助ける、幸せにするにも順番があると思う。

まずは、自分だけでしっかりと歩める力をつける。

それから、家族や友人など、身近な人から幸せになってもらう。

そのための協力や助ける行いをするべきだと思う。

遠くの人から幸せになって、最後に身近な人が幸せになるより、自分の周りの人々が幸せになり、そこから他の人たちに幸せが伝わる方がいい。

近いところから幸せの輪を広げていく。

そうなるように、行動する。

ボランティアを否定するわけではないんだ。

身近な人たちを犠牲にするような、ボランティアには違和感があるということ。

身近な人たちの笑顔に囲まれて暮らす。

これ最高だよ。

身近から大切にするべきだよ。

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不公平だよ

「不公平だ」って叫ぶ大人いるよね。

そんな大人はインチキ野郎か嫉妬深いか精神年齢が低いかだろうね。

とても信用できるヤカラでない。

なぜなら、「不公平」は、生きるうえでの前提条件でしょ。

夏の甲子園で雨のため、9回を終えることなく途中の回で勝敗が決まってしまったことを、「不公平だ」「負けた球児たちがかわいそうだ」とテレビで立派な大人と思われている人たちが吠えていた。

野球のルールという、不公平な世の中でも公平な争いで勝敗が決まったことに、感情的な情緒を持ち込んで「不公平だ」と叫ぶ。

ルールに基づいて戦い、一方が勝者となり他方が敗者になる。

そんな当然なことにすら「不公平だ」と言いだしたら、発言力があり、声の大きな者の言う通りになってしまう。

それこそ、公平も不公平も超越した独裁的なことになってしまう。

より平等で公正な社会を目指す社会主義国の現状をみても、権力と資産が結びつき、公平な社会とは程遠いように見える。

それぞれ皆、生まれた時から環境が違う。

生まれた時から、不公平なんだよね。

遭遇する多くのことが、不公平。

繰り返すけど、不公平を前提として受け入れて生きていかなくてはならない。

不公平だと泣いたり、文句を言っても、どうにもならない。

以前、英会話学校のアメリカ人講師が、「unfair」という単語は、子供が頻繁に使う単語だと言っていた。

大人は「unfair」が当たり前だとわかっているから、使わない。

「不公平だ」「ズルい」なんて言葉は、成熟した大人が使う言葉ではないんだ。

実は、不公平な中で最も公平な時って学生時代なんだ。

勉強、運動、芸術など、個々の能力だけで勝負できる時なんだ。

できる、できないを数値化して、順位がでる。

例えば、模擬テストを受ければ、順位がわかる。

家の事情や環境など間接、直接的に影響はされるけど、同じテストをうけて、同条件で勝負できるんだ。

「不公平だ」って言いまくっていた時が、公平だなんて皮肉だよね。

社会人になると、同条件で競える機会はほぼないから。

そんなこと、学生時代には考えもしなかった。

過ぎてわかることって多いけど、賢いヤツはわかっていたかもしれない。

だから今できることは、不公平な社会でどう過ごすか、いかに戦うか。

不公平が前提な中で、自分に有利なことを見極める。

こんなことだと思う。

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ホームで戦う

世の中には、勝ち負けに分けられない物事がたくさんある。

それでも、日々、結果的に勝った負けたはあるんだよね。

今回は、どこで戦って、勝率をあげるかっていう話。

ホームで勝負するっていう話。

ここで言うホームとは、得意な分野、長所を活かせるエリア、助けてくれる仲間のいるところ。

例えば、初めてのデートでのお店選びで考えてみる。

1つ目のお店候補は、よく行く居酒屋。

大衆的だけど、ちょっとこだわった雰囲気で、料理も美味しい。

2つ目のお店候補は、ネットで見つけたイタリアンレストラン。

行ったことはないけど、気取った雰囲気がデートにあっているし、おしゃれだと思われそう。

デートの目的は、お互いに楽しい時を過ごして、相手に好印象を持ってもらって、次につなげることだよね。

では、どっちのお店を選んだほうが、目的達成の確率が高いと思う?

正解は、1つ目の居酒屋だと思うよ。

初めて行くお店は、お店のドアを開ける時から緊張するよね。

しかも、カッコよく振る舞わないと、デートの相手にもお店の人にも見透かされそうで、心配になってしまう。

メニューだって初めて見るの。何が美味しいのか、何をオーダーしたらいいのか、わからないよね。

そんな状態のイタリアンレストランで楽しい時間が過ごせる?

それより、よくわかっているお店なら、予約する時にベストな席をお願いできるかもしれないし、オススメの食べ物や飲み物がわかるからオーダーもスムースにできるよね。

心の余裕が違うから、居酒屋では会話も弾むと思うよ。

ホーム(居酒屋)で戦う(デートする)と勝率があがる。

地の利を活かして、戦うべきなんだ。

次は、ちょっと無茶な例え話だけど、柔道が得意なA君と数学が得意なB君とで、勝負することになったとする。

A君は得意な柔道でB君と勝負したい。

B君は数学のテストでA君と勝負したい。

当然だよね。互いに得意な分野で勝負した方がいいもの。

ところが、多くの人が、自分の得意な分野がわからず、そこで勝負しようとしてないんだ。

しかも、これって実社会では、無茶な例え話ではないんだ。

競技と違って、実社会のルールやマナーは曖昧だもの。

だから、自分の得意な分野に相手を引きずりこんで、そこで戦うべきなんだ。

そして、何かを行う時、行っている時にホームかアウエイか意識すると、余裕ができて、不思議と少し遠くが見通せるような感覚にもなるから、まずは意識することが大切なんだ。

それで、ここはアウエイと思ったら、マンガに出てくるような道場破りをしているつもりで、ボコボコにされながら鍛えられたり、どうやってこの敵地から抜け出すかとか考えながら、強くなっていく自分を想像できるようになったら本物だよね。

最後に、デートでのお店選びだけど、ほんとうはイタリアンレストランの方が勝率が高いと思う、笑。

ただし、お店に入る前に、相手に「はじめて行くお店」であることと、「ちょっとカッコよく見せたくて、一生懸命に探した」と正直に話すの。

これで、相手は誠意を感じてくれるし、ぎこちなさも問題ないし、なによりもおしゃれなお店を選んでくれたら、やっぱりうれしいよ。

そして、お店で店員さんにオーダーする時に「はじめてのデートのために探して」「緊張しながら来店」したことを伝えるんだ。

これを伝えた瞬間に、店員さんが助けてくれる仲間になるかもしれない。

そうなると、はじめてのお店が、ホームに変わる。

このパターンが最強だと思うけど、56歳までの経験があるから思いつく、ハードルの高いパターンではある。

アウエイを意識して、相手に現状を正直に伝えて、仲間を作って、ホーム化させた高度な戦いだからね。

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結局のところ、使うようになっている

お父さんのお客さんで、現在、80歳を過ぎ、自営業を10年以上前にリタイアした人がいる。

今でも不動産収入とかで年収1億円以上ある裕福な人。

いわゆる富裕層に分類される人なんだけど、暮らしぶりは、とても質素なんだ。

自宅は一般的な大きさの戸建住宅で、奥様と2人で住んで、車は所有していない。

趣味は散歩と猫ちゃんの世話。

食事は、糖尿病の持病があるので自宅で野菜を中心としたものだけ。外食はしない。

お酒は飲まない。タバコも吸わない。

お金があるのに、お金に関心がなく、欲に絡まれることなく極めてシンプルに暮らしているように見える、尊敬できる人なの。

人の懐の計算をしてもしょうがないけど、このお客さんは現金をとてつもなく貯めていると思っていた。

だって、メインバンクの代々の支店長の頭の下げ方と言ったらすごいよ。

本当に床に頭が着くくらい下げて挨拶するんだから。

何度も目撃してるんだから!

お父さんには、首をちょこっと傾けるくらいなのに、笑。

それで、先日奥様と話す機会があった。

その時に奥様が「うちの人、だいぶ記憶も曖昧になってきたから、お金の管理を私がすることにして、預金を調べたのよ」

「そうしたら…」

「貯金がほとんどないよの」

「以前からとてもリスクの高い金融商品にお金を注ぎ込んでしまっていた」

メインバンクの紹介で系列の証券会社を通して金融商品に手を出していたらしい。

しかも、冷静に考えたら、勝ち目のない金融商品ばかりだったらしい。

支店長は預金高ではなく損失に次ぐ損失のために、頭を下げていたようだ。

この件で、お父さんが思ったのは「誰しも、何かしらにお金を使う」ということ。

趣味のための浪費、贅沢な遊び、身の丈に合わない衣食住。

一般人がちょっとお金を持つと、ほぼ浪費に走る。

港区付近に住む年収1000万円~3000万円くらいの会社員の世帯は貯金はないから。

「あの人、稼いでいて、お金持っているだろうな」

なんて思っていても、実際には、貯金がなくて綱渡りな日々で暮らしている人だらけ。

有名企業に勤めて、タワマンに暮らして、外車に乗って、子供を私立の学校に通わせて…。

家計は、ギリギリだよ。

暮らしが贅沢になって、貯めるより使う方が忙しい。

お父さんのお客さんは、贅沢や浪費には無縁だし、港区あたりのセレブ気分な人たちとはモノが違うと思っていたのに、お金を使っていた。

ごく一部の貯金が趣味な人たちを除いて、お金は使うようになっていると痛感したんだ。

結局のところ、何かしらにお金は使うようになっている。

でも、当然だよね。

そもそものお金の役割の一つは、交換でモノ、コト、サービス、労働などに対価として渡すものだもの。

稼ぎと貯金は別もので、ちょっと稼いでいる人たちほど、貯金とは無縁になっていくと思う。

一回贅沢を味わうと、やめられないものなんだよね。

今回は人それぞれ、結局何かしらにお金を使うって話なんだけど、結末的なまとめはないわけ。

お客さんのように稼いで質素な暮らしをしている人でも、お金を使ってしまうのだから、人間の習性やお金の特性、そして社会の仕組みが、浪費するようにできているのだろう。

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能書き

世の中には、能書きが溢れている。

また、能書きが必要とされている。

最近は、ちょっといいレストランで食事をすると、ほぼ「この□□は、◯◯産です」というような、産地の説明をされる。

加えて、味付けや調理方法など、どこで取れて、どのような調理をしたのか説明してくれる。

素材などの背景を伝えることで、料理の美味しさを詳しく説明(説得)しているわけだ。

お父さんは、ギネス級の早食いだから、1品を食べる時間より説明の方が長いなんてザラにある。

お寿司屋さんでは、お客さんから「これは◯◯産?」なんて質問をするグルメな方々に遭遇する。

そもそも、◯◯産だから何なんだろうか?

味付けや調理方法の説明が必要なんだろうか?

美味しいか、不味いかだけでよくないか。

そこに、能書きは必要ないと思う。

一昔前、ワインがブームになった時、フレンチやイタリアンレストランでは、ワインの蘊蓄を自慢する輩だらけだった。

産地や何年ものといった知識の披露から始まって、そして、飲みながら味の批評をする。

正直に言って、この手の輩が苦手。

誰かを好きになる前にどういう生まれで、出身校はどこで、付き合いながら相手を批評するヤツをどう思う。

これと同じだよ。

美味いか、苦手か、好きなタイプかそうでないのか。

それだけでは、ダメなのかね。

ただ好きかどうかだけじゃないの。

好きになるのに能書きは必要ないよ。

料理バトルや格付けのテレビ番組が人気となり、食事を提供する側もお客さんも食べ物の背景を説明し、されることが浸透したと思う。

そして、ミシュランガイドやグルメサイト。

今や誰もが、味を批評してそれを当たり前のように点数化したりする。

みんな、誰がどんな基準でつけたかわからない点数を信じて踊らされている。

これが時代だというなら、逆張りしてほしい。

黙って食べて飲んで、一言「美味しい」と言う!

それに、能書き好きは、ほぼややこしいヤツだ。

付き合うと疲れるよ。

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バランスよく

突出した成功を夢みることある?

例えば、誰もが知っている芸能人になる。

プロ野球選手になって、大活躍する。

起業して、途方もない資産を築く。

どの分野であっても、超一流になりたいし、目指さないことには実現しないよね。

ただし、超一流を目指すってことは、それ以外は捨てるってこと。わかるよね。

お父さんが通った高校のサッカー部は、全国制覇を目指すような部だったの。

元旦以外は、毎日練習と試合。

もちろん、学校行事は欠席。

修学旅行にも行かなかった。

部員たちは、普通の高校生活を過ごしていない。

全国制覇を目指すって、すごいことだと思ったよ。

でも、たぶんそのレベルを目指す人たちは、一般的な休養や楽しみなんかないんだよね。

社会人になって、やたらとでかい夢をもつ人がいる。

世界制覇するような夢は、社会人になる頃には、たいがいの人は無理だってわかってるから、著名人になるか資産家になるかってところかな。

そして、そのでかい夢を目指すには、他のことは、ほぼ全部捨てる覚悟が必要だよね。

結果、本人の努力と運によって、夢が達成したとする。

そこで見れる景色って、どうなんだろう。

達成感はあるかもしれない。

でも、それ以外の楽しみや幸せを捨ててきてるんだよ。

お金以外周りに何もないかもしれないし、そこまでの過程で多くの恨みをかっているかもしれない。

しかし、自分の夢は達成した。

お父さんは、とてつもない夢を実現した人には会ったことがない。

そこそこの夢を実現した人まで。

そんな、そこそこの成功であっても、捨ててしまったものが多くある。

家族のことをかえりみず仕事ばかりしたために、離婚や家族が崩壊したパターンなど、多くみてきた。

1つの夢を強く追い求めると、トータル的には、不幸になる確率が高くなると思う。

幸せを感じる要因は人それぞれだけど、お父さんなら、家族、仕事、健康、お金、趣味などがある。

こんないくつかの幸せを、クモの巣のようなグラフ(レーダーチャートって言うのかな)に幸せの位置をプロットして、正五角形に近い形になるのが幸せだと思っている。

バランスのよい幸せってやつかな。

ところが、劇的な人生を送りたいなら、バランスなんかクソくらえだよね。

スーパープロデューサーの秋元康さんも「記憶に残る幕の内弁当はない」って言っているとおり、バランスよく揃っているものは、1点ものに劣ることがある。

でもね、人生は、バランスよく高い位置で結ばれるような正五角形を目指すべきだと思う。

どんなに金銭的に成功しようが、健康がすぐれなかったり、家族を悲しませるような人生はいやだね。

バランスよく暮らすと、1点特化型より、心を落ち着かせて暮らせると思うよ。

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タイミングがいい

以前、「気が利く人」について書いたけど、気が利くと思われる要因の一つに「タイミングがいい」ってあるんだ。

今回は、「タイミング」について書いてみたい。

問題が起きたり、頼みごとがある時に、ふと現れる人がいるの。

ちょうど手が空いている時に連絡をくれる人がいるの。

別に霊感があるわけでもないのに、こちらの都合に合わせてるかのようにコンタクトしてくれる人っているんだよね。

こういう人を「タイミングのいい人」って思ってしまうんだ。

反対に、出かける間際に突然訪問されたり、仕事が休みの時ばかりに連絡をする人がいる。

「タイミングのいい人」と反対の人。

みんな「タイミングのいい人」と付き合いたいよね。

タイミングがいいって偶然だと思う?

もちろん、運みたいなものもあるけど、自分で何とかできる部分があると思う。

その何とかできる部分が大切なんだ。

何とかできる部分とは、相手への想像力と配慮のことなの。

例えば、仕事が休みの時に、急用でない連絡をしてくる人は、緊急性の判断や相手の予定(休日)への配慮などないよね。

相手のことなどお構いなしに、自分が思ったことを思った時に連絡するだけ。

本来は、電話をかける前に相手の状況や行動を想像してから、電話をかけるべきなんだ。

午後だと外出するだろうから、午前に、そして始業まもない時間より、少し落ち着いた始業から30分後に連絡しよう。

社会人として、このくらいの相手への配慮は、行なってあたりまえだから。

お父さんは、仕事がら年配のお客さんへ提案することが多い。

大事な提案は、六曜日の大安もしくは友引の日にするようにしている。

自分が縁起を担ぐ、担がないの話ではなく、六曜日を気にするお客さんがいるし、万一気にするお客さんに対して、仏滅の日に提案したら、提案の内容とは関係なく最初のところから嫌な印象を持たれてしまう。

これも、お客さんへの想像力と配慮の一つだよね。

とにかく、「タイミングのいい人」になりたいし、そうなれるように努力する必要があると思っている。

「タイミングがいい人」と認定されるのは難しいけど、認定されるまでの過程を含めた想像力と配慮は、とても大切なものなんだ。

だから「タイミング」については、いつも考えて行動してもらいたい。

「思いついたら、すぐ行動」の“すぐ”の前に、想像と配慮があるからね。

力づくだけでは、まとまる話もまとまらない。

これ注意。

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お金を使い分ける

お金の使い方は、「消費」「投資」「浪費」の3つに分けられると思っている。

消費は、生活するうえで必要なお金のこと。

住居費、食費、養育費などがそうだよね。

投資は、自身もしくは自分に関わる将来に向けて使うお金のこと。

自身には、貯金、資格取得などの学習、健康管理、交際など。

子供の塾などの教育費も、投資と考えられるよね。

浪費は、線引きが難しい。

例えば、高級レストランで3万円の食事をしたとして、食事は生活の一部だから消費だけど、「3万円も必要か」と考えると、浪費になる。

しかし、3万円を支払うことで、経験できる味やサービスを、経験と考えれば、投資にもなる。

結局、自分で贅沢だと思う部分が浪費になるのかな。

3つに分けた、「消費」「投資」「浪費」は、3万円の食事の話しのように、それぞれクロスオーバーするから、何が「消費」か「投資」か「浪費」になるのか、わからないことも多くある。

考え方は人それぞれだし。

いったい、どういうふうに「消費」「投資」「浪費」を使い分けたらいいのだろう。

お父さんは、以前話した「なりたい自分」になるためにお金を使い分けるべきだと思う。

生活するうえで必要なお金と貯蓄は、マストだよね。

貯蓄は投資の一部になるのかな。

貯蓄したお金があると、心が安定するし、緊急的な事態になっても、お金が助けてくれることがあるから、可能な範囲の金額で、定期的に貯蓄する癖をつけておいた方がいいよ。

だけど、その他の投資は、独身、既婚など人生のステージによるけど、どんどん使った方がいいと思うな。

ここで使うお金が「なりたい自分」へ近づけるのだから。

浪費は、どうしようか?

その場では、贅沢だと思っても、ちょっとした背伸びは必要だよね。

背伸び部分くらいの浪費なら、必要だと思うしね。

でもね、「自分へのご褒美」などと言い訳をするお金の使い方は、100%浪費。

どうせお金を使うなら、言い訳はしない方がいい。みっともない。

また、「消費」「投資」「浪費」の3つに分けるのは、収入の高低に関係ないから。

収入によって、「消費」「投資」「浪費」の割合は、変わるだろうけど、可能な範囲で、お金を使い分けてもらいたいし、そう意識する習慣をもってもらいたい。

そして、お金を無駄に使って欲しくない。

お金は、矛にも盾にもなるものだから。

最後に、もう一つ、他者へのために使う「寄附」がある。

「寄附」を、お金の使い分けの一つにするのは、すばらしいことだよね。

しかし、正直なところ、お父さんは、太郎にそこまで望めない。

自分自身でしっかりと歩めることを優先してもらいたいから。

自分のこともおぼつかないのに、いきなりアフリカの子供たちを助けようとするのは、順番が違うように思う。

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話すこと

   

コミュニケーション能力の90%は「話しを聞くこと」

残りの10%は「伝えること」

「伝えること」のひとつに「話すこと」があるよね。

本屋には、「魅力的な話し方」みたいな自己啓発本が多くあるけど、言葉を発する(話す)ことは、とんでもなく破壊力のあるものだと、まず、わかってほしい。

テクニックじゃないの。

以前、図書館で本を選んでいた時に、携帯電話が鳴ったの。

もちろん、応答せずに、すぐに切ったんだけど、30歳くらいの女性が、お父さんの後ろを「ばーか」って言いながら通り過ぎたんだ。

今まで、「バカ、アホ」って、何度も言われてきたけど、その時の「ばーか」は、レベルが違うというか、こんなにも言葉が胸に突き刺さることがあるのかと、不思議なくらい衝撃的な経験だったの。

この出来事が、お父さんに、言葉の威力をはっきりとわからさせたんだ。

これ以降は、言葉選びに慎重になった。

特に、お父さんに対等に言い返せない立場の相手には。

ちなみに、対等に言い返せない人たちへの冗談は、冗談ではないからね。

お互いに言い返すことができて、冗談だから。

話しを戻すけど、この出来事は、15年くらい前だったかな。

40歳まで言葉の威力を考えずに、話していたなんて、情けないよね。

そして、一度、発した言葉は、取り消せない。

自分は、まったく覚えていない言葉を、言われた相手は、記憶していることってあるからね。

例えば、「嫌われる勇気」なんて言葉を勘違いして、暴言を吐いたらダメだから。

人は、けなされたり、馬鹿にされた言葉は忘れないもの。

「嫌われる」上位に「恨まれる」があるから。

恨みはこわいよ。

だからこそ言葉は、褒めたり、励ましたり、ポジティブなことに、バンバンと使った方がいい。

誉められた言葉から、その人の人生が変わることもあるかもしれないし。

ところが、困ったことに、悪口言ったり、ネガティブなことを言う方が、楽しいしラクなのよ。

また、ポジティブな発言ばかりを連発してたら、それはそれで、気味悪がられるし。

褒めたり、悪口だったり主観的なことではなく、状況説明みたいな客観的なことばかり話せば、つまらないヤツ認定されるし。

そんなことを考えだしたら、何も話せなくなるよね。

でもね、少なくとも社会人としては、そんな言葉が少ない、無口なヤツでいいと思うよ。

「聞くこと」が90%なんだから。

的確な言葉を、話を聞きながら考える。

そして話す。

口数が多くて、行動もできる人は少ない。

言葉が多いと行動は減るもんだよ。

繰り返すけど、話すことは、上っ面だけの話し方や技術論ではなくて、人に対する影響力“威力”を認識することが基本だから。

だから、あせったり、その場を取り繕うような話しはしなくていい。

みょうにアピールしなくても、わかる人にはわかるの。

芸人のように、おもしろおかしく話す能力や、大きな声で弾丸トークできる能力は、実社会では、それほど羨ましいものではないと思う。

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