わからないけど、たぶんある

ある知人が酔った勢いで「女性を口説くには、いかにお金を持っているように見せるかが大事」

と自慢しだしたことがあった。

その知人は、いつもヨレヨレな服を着ていて、いつ会っても、お風呂に2、3日入っていないオーラをまとった50歳代の男性なんだ。

でもね、実際にある種の女性たちからは、リスペクト的な眼差しを向けられて、彼女もいたりする。

本当のところ、知人がお金を持っているかどうか、わからない。

たとえ持っていたとしても、使い方を知らないことは、確かなんだけど…。

それにしても、お金の力ってすごい!と思わない?

と言うより、見せる力ってすごくない!

知人の男性は、見せる力というより、しゃべる力だけど。

例えば、本人からスイス製の通なブランドの高級腕時計を持っている話を何度も聞いているけど、いつも時間はガラケーで確認しているもの。

そもそも、時計をしていないから。

本当か嘘かわからないような話をつなぎにつないで、お金持ちだと思わせる。

まあ、見せ方のプロだよね。

また、ついついディスりがちになってしまうけど、わかりやすいブランド名やロゴの入った物で着飾って、派手な時計や鞄を持って、お金持ちアピール好きな人たちもいるよね。

この手の人たちは、わかりやすくて、皆から「カッコいいー。お金持ち!」って言われたい見栄が服を着ているような人たち。

周りが羨むものを身につけて、勝った気になっているだけ。

そんな人たちとは反対に、ひっそりと預金通帳の残高を眺めるのが好きな人たちもいる。

地味で質素な生活が身について、節約と貯金が趣味な人たち。

他人からどう思われようが、関心がない。

お金に対して確固たる芯を持っている。

こんな人たちは、身なりにお金をかけるようなことはしないから、お金を持っているようには見えない。

もちろん、近しい人たちは「アイツ貯め込んでるぜ」ってバレているけどね。

それで、何が言いたいかというと、

お金を持っているように思われても、

持っていないように思われても、

極端はダメっていうこと。

そして、言葉でお金持ち感、貧乏感を語っては、もっとダメ。

お父さんの理想は「わからないけど、たぶんある」と思われること。

これ絶妙な塩梅なんだけど、そんな男を目指している。

「わからない」のはお金の話をしないから。

お金に興味があっても、お金の話は極力しない。

「たぶん」なのは、身なりから判断してもらうから。

例えば、全身ブランドもので覆われていないけど、ポイントで質のいいものを持っている。

質のいいものだけに囲まれるような無理をすることもないし。

パンツはユニクロ。でも、Tシャツは1万円以上する高品質なコットン素材。

こんなMIXコーデが上手くできれば、ある方の「たぶん」と思われる。

「ある」は、態度や身のこなしから。

人との接し方、気配り、落ち着きなどから、生活や性格が透ける。

そんな感じで、推測に幅を持たせる。

推測される、謎めいた部分のある人が魅力的なのは昔から決まっている。

見栄を張らず、バカにもされず。

たぶん、ある。

お金もそんな人が好きだと思う。

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詮索しない

好奇心と言えば聞こえがいいけど、何でもかんでも知りたがる人がいる。

知りたがる対象が他人の、

勤務先、家族構成、趣味、出身校…

今のことだけでなく、過去のことまで知りたがる。

今回は、他人を詮索しないって話。

「人」にとても興味がある。

お父さんは、旅行に行っても、世界遺産よりそこで暮らす人々の方が興味あるもの。

観光に行くより、カフェで道ゆく人々を眺めているほうが楽しいくらい。

しかし、興味があるのと詮索するのは別。

そして、知り急いで、知りたがってはダメなの。

だって、他人のことを知りたいって、たんなる個人的欲求だから。

テレビのワイドショーは、この欲求で成り立っている。

誰が結婚した、離婚した、事故を起こしたなんて、自分にはまったく関係ないんだけどね。

以前、車のディーラーで試乗した時、隣に座った若い営業マンが、やたらと質問してきたことがあった。

今乗っている車は?過去に乗っていた車は?家族構成は?って、

太郎の在学している学校名まで聞いてきたよ、笑。

おそらく、この若い営業マンは上司から、「お客さんの情報を知れば知るほど的確な提案ができる」なんて言われていたんだと思う。

お父さんも、お客さんの思考と自分の思考が同期化できれば、ハズした提案をしない。

と思う。

しかし、それは詮索して知るのではなく、身なりや態度、雰囲気から想像するものなんだ。

そこに早く気づかないと、この若い営業マンは熱意が空回りしたままで、もったいないよね。

仕事でも、知り急いではダメだから。

また、詮索好きで知りたがりの人ほど、知ったことを皆に話す。

そしてまた、知ったことで嫉妬したりするからタチが悪い。

お父さんは、この詮索好きの習性を利用することがある。

例えば、誰かを褒めたい時、詮索好きに大袈裟に話す。

そうすると、勝手に広めてくれる。

直接褒められても嬉しいものだけど、間接的に聞くと、嬉しさが増幅するんだよね。

基本的に他人の生活や人生は、自分には関係がないもの。

個人的な事情を知っても、どうしようもできない。

だから興味本位で、知ろうとしない。

聞かなくても、人は話したいことは、話してくれる。

知る必要がないことは、知らなくていい。

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今を楽しむ

仕事が一区切りしたら、旅行に行きたい。

なんて言う人が旅行に行くことはない。

旅行に行く人は、行ける時に行く。

今でもできることを、「いつかは」みたいに語る人がいる。

「人生は旅である」

って本気で言う大人は、自分に酔っているか、漂流することがカッコいいと思っているのだろう。

隣の芝生は青く見えるものだけど、「いいなー」が口癖だったりする、

自分の立場や境遇を嘆いて、他人のことを羨ましがる。

どれも、今を楽しめない人の特徴なんだよね。

家族や子供をテーマにして当代一の泣かせる作家 重松清さんも、

まずは、自分の居場所を好きになるところから。

そして、自分のいるところを好きになる才能に恵まれた人は、やっぱり上手くいく。

なんてことを言っていた。

今の場所を愛せないヤツはよそを愛することはできない。

今を楽しんでいない人ほど、よそに期待して行きたがる。

よそに行ったところで、また、同じように楽しめないことを繰り返して、

そして、さまよう旅人になってしまう。

結局のところ、今を楽しめない人は、将来も楽しめないし、もちろん過去も楽しんでいない。

ところが、今を楽しみ、自分のいるところを好きになることは、難しくもあり易しいこと。

自分の気持ち次第でどうにかなることって、難しくて易しいものだから。

だって、突然、気持ちが変わることは、まずないよね。

気持ちって、環境、境遇、そして今までに経験した、嬉しいこと、悲しいこと、成功したり失敗した、いろいろなことで形成される。

だから、簡単に気持ちのもちようは変えれない。

物理的・物質的に楽しめない状況だってある。

極端な話、難民キャンプで暮らす人に「今を楽しみなさい」って言ったら、殴られても文句言えないよね。

そう言えば、

毎回選挙特番では大活躍する人気ジャーナリストが、以前テレビ番組で難民キャンプで暮らす子供に「あなたの将来の夢はなんですか」

と、質問していたことがあった。

「先生になりたい」なんて答えを期待していたのかね。

その日1日をどう生きるか必死な子供に、したり顔して「夢」なんて言える男がお茶の間では、人気知識人なんだよね。

話を戻すと、

「今を楽しむ」とは贅沢なことを承知の上で、それでも、自分のいるところを好きになって、楽しんでもらいたい。

これは、根をはって、足元をみる生活につながるんだよね。

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自分のクセを知る

お客さまと会う前、打ち合わせやプレゼンテーションなどの前には、「伝えたいこと」「提案したいこと」を流れの中で、どのように、どこのタイミングで切り出し・伝えるかイメトレをする。

細かく想定する部分もあるけど、おおよそな雰囲気をイメージして、お客さまとの打ち合わせにのぞむ。

もちろん、想定していた通りに進まないことが多いけど、イメージすることが予想の精度をあげるトレーニングになると思っている。

だから、イメージしてお客さまに会うことは、大切なことだと思っている。

残念なことに、100%想定どおりに提案したいことが伝えられても、それが結果に結びつくほど甘くはないし、お客さまが最初から聞く気がない打ち合わせなんて日常茶飯事だからね。

そんな打ち合わせ時に、稀にお客さまから意表を突かれる言動をされることがある。

自分も想定してないし、思いもよらないことなんだけど、その言動は、核心を突いているんだ。

お父さんは、そんな時、饒舌になってしまう。

日頃、さんざん「聞くことが大切」「聞き上手がコミュニケーション上手」なんて言っているのに、余計なことまで話しだしてしまう。

話しまくった後の帰り道は、本当に落ち込む。

帰り道どころではなく、数日引きずることもあるくらい。

意表を突かれた言動をされる →  動揺する →  動揺を隠そうと饒舌になる →  落ち込む

こんな流れかな。

たとえ、その時の打合せなりプレゼンが受注に繋がったとしても、自分自身の「やらかし感」は拭えない。

そういうことを何度も何度も繰り返すと、いい加減わかる。

意表を疲れた時に饒舌になるのは、自分のクセなんだと。

「自分のことは、一番自分がわかっていない」というやつ。

やっと気づいたんだ。

だから、今は饒舌になりそうになると、「ほれ、クセ!」と自分に言い聞かせる。

そして、このクセの対策も考えた。

いったん間をつくる。

時間に句読点をうつイメージをして、黙って気持ちを落ち着かせる。

「話すほどドツボにはまるよ」と自分に言い聞かせる。

では、こんな対策で解決されたかと言うと、そんな簡単にものではなく、いまだ苦闘中なんだけど、マシにはなってきていると思う。

上手くいかないパターンが繰り返されたら、原因に自分のクセがあると疑ってみたらどうかな。

誰しも、クセはあるだけど、ダメなクセが成果に結びつかない障害になっているかもしれないから。

上手くいく、いかないにかかわらず、たまには自分で自分の調査をして、ダメなクセを見つけられたらいいね。

お父さんは、仕事の成果の有無よりも、苦手なタイプの「饒舌な男」に自分がなってしまったことが許せないんだ。

だから、落ち込む。

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キャッシュ イズ キング  

現金の価値を歪めようとする話が多すぎる。

投資と貯蓄の区別をせず、投資からの視点だけで、現金で所有する者を愚か者扱いするような者がいる。

ところが、そんな話をする者たちこそ、現金を必要としている者たちだから。

順位付けをするなら、まずは貯蓄。

それから、投資。

それなのに、貯蓄をせずにお金を増やそうと投資をしてしまう。

国がNISAのように税制優遇措置を設けて、投資させるのに躍起になっているもの。

流されるよね。

夢のような投資話に憧れるより、まずは、コツコツと一定額の定期預金をするべきなんだ。

そもそも、仮に10万円を投資運用しても、運用益は僅かなもの。

10万円の投資に労力を使うなんて、もったいない。

そういう話をすると、「投資に対する意識づけが必要だから、投資額は関係ない」とか、挙句の果てに、「子供の時から投資を学ばせるべき」という話にもなってしまう。

二宮尊徳も「道徳なき経済は犯罪である」と言っている。

道徳を学び経験する前から投資を学ばせてどうするのよ。

ちなみに、「経済なき道徳は寝言である」って先にあるの、さすが、二宮尊徳!

現金は、保険にもなるんだ。

天災時でも経済的な有事の時でも、現金に勝るものはない。

そんな事態になると「キャッシュ イズ キング」って言い出す。

平時では平民扱いで、有事になると王様扱いになるんだから、現金も大変だよ。

また、現金は、安心感を与えてくれる。

現金を持っていると、心強いよ。

例えば、突然仕事を解雇されても、現金の貯蓄があれば、求職期間中も余裕が持てる。

切羽詰まった表情より余裕の雰囲気を醸し出した方が良い結果になるだろうし。

日本在住のロシア人ユーチューバーが、日本人の「子供の時にもらったお年玉を貯金する」行為に驚いていた。

ロシアは、インフレ率がすごく、現金が信用されていない。

日本の経済安定性に驚いたっていう話なんだけど、バブル崩壊後、逆に日本はデフレで、現金の価値が上がっている。

だから、現金の貯蓄が、いい投資にもなってしまった。

実のところ、投資の話ばかりする者は、現金を持っていない。

しかも、換金制の悪い投資だったりするから、オンジエッジ状態なんだ。

そんな人たちは、危機や危険が、身近にあることを隠しながら、自信満々に過ごしている。

いつでもキャッシュ イズ キング

王様は大切に、そして敬うべき。

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言葉だけへりくだる

世の中、謙譲語が溢れている。

そもそも相手への敬意を表す言葉として敬語がある。

敬語は、尊敬語、謙譲語、丁寧語のおおよそ3つに分けられる。

テレビでは芸能人が意味不明な謙譲語を話している。

◯◯させていただく。

ご結婚させていただく。

みたいな言葉聞かない?

謙譲語は、相手に対してへりくだる表現のはず。

結婚相手に、「させていただく」しかも結婚の前に「ご」を付けて、訳のわからない敬語で結婚報告をする。

「言う」の

尊敬語は「おっしゃる」

謙譲語は「申し上げる」

丁寧語は「言います」

となる。

たぶん、芸能人だと「申し上げさせていただく」ってなるはず。

ダブルな謙譲語

謙譲語がこれほど使われるようになったのは、10年くらい前から、ミスタープロ野球の長男タレントが、意味や使い方を理解せずに謙譲語もどきの言葉を使い出して、それを芸人たちが真似しだした頃から流行りだした気がする。

そもそも、言葉の意味や使い方は時代とともに変わる。

変わることは、わかっている。

また、自分は正確に敬語や言葉を使えているのか?

と言えば、そんなことはない。

問題というか気にいらないのは、インチキな謙譲語を話す本質は「相手に対してへりくだった態度をとっていれば間違いない」という、本当のところ相手への敬意がないことが透けて見えるからなんだ。

インチキな謙譲語を発すると、嘘っぽく感じる。

人との付き合いで、特別に相手を上げたり、自分を下げたりするシチュエーションは、それほどないはず。

そして、へりくだった言葉や態度での付き合いは、長続きしないし、へりくだった態度を求めるような相手とは、付き合う必要がない。

私見ではあるけど、相手への敬意は、丁寧語を使うと一番きれいに伝えられると思う。

相手を持ち上げたり、自分がへりくだることなく丁寧語の「です」「ます」を使えばいい。

もっと言うと、訳のわからない謙譲語を話す人は、相手にきちんと気持ちを伝える気がない人のように見える。

気を遣っているようで、実のところ、粗っぽいんだよね。

「◯◯させていただく」は取扱い注意。

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どこの面を見るのか

人は異なる、さまざまな面で構成されている。

真面目な面、不真面目な面、面白い面、つまらない面、おおらかな面、神経質な面…

一つの面だけの人なんていない。

必ずいくつかの面があるんだ。

ただし、面の種類や大きさは人それぞれだけど。

例えば、100%真面目な人もつまらない人もいない。

真面目な面の面積の小さい人は、いいかげんでズボラな人かもしれないし、大きな面積な人は、几帳面でコツコツやる人かもしれない。

大きな面積は目立つし、見たり触れたりする可能性が高いから、人の印象となりやすいよね。

ところが、たまたま小さいな面積の面を見て、それがその人の印象となる場合もある。

面白い人だと思っていたのに、付き合いだすと、大して面白くない人だったみたいに。

お父さんは、人の前提条件が、さまざまな面で構成されていると思っているから、一面だけでなく、横からも後ろからも見るように心がけている。

「こんな面もあったんだ」って驚くこともあるね。良くも悪くも。

誰かから聞く「あの人は、◯◯な人だよ」という話は、いったん隅におく。

誰かのどこの面を見て言っているのかわからないし、あなたに対しては、この面を前面に出して接したかもしれないからね。

自分で見るまでは、信じないようにしている。

今までいろいろな面を見てきたけど、構成しているすべての面をコーティングしてしまう性質があるって気づいたの。

それも、悪いほうで。

それは、「ひとでなし・ろくでなし」な性質。

この面があると、他の面も覆ってしまう。

「ひとでなし・ろくでなし」の面を見たら、近づかないようにしている。

そのくらい、要注意。

逆に、自分は絶対に「ひとでなし・ろくでなし」の面を一欠片も持たないようにしないといけない。

そして、一方的な情報や、一面だけでを見て人を判断してはいけない。

人は多面で構成されていることを理解して、そのうえで、いい面をみつけて認めてあげると、自分も他者も成長できる。

これは、特に上司や指導者に必要な資質だと思うよ。

残念ながら、悪い面ばかり指摘する者が多いけどね(笑)

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信頼する、される

どんな人になりたい?

ってたずねられたら、迷うことなく「信頼される男」と答える。

「信頼」は土台だと思っている。

他のすべては、信頼があって成り立つとさえ思っている。

だから、仕事でも、何が一番大切かと言えば、「信頼」なんだ。

仕事を頼まれるのは、信頼されているから。

お金を頂く行為は、信頼の証。

継続して取り引きできるのも、信頼があってこそ。

いかに信頼を得られるか。

信頼から逆算して、仕事を行うべき。

時間を守る、ちょっとだけ先回りをする、期待を上回る成果をだす、丁寧だけど厳しく接する。

そして、柔軟性も必要だね。

こんなところを心がけて、仕事に取り組みたいな。

そうすれば、信頼されるはずだから。

また、長く努力を重ねて信頼を得ても、信頼は一瞬で失うもの。

針の先くらいの小さな疑義から、あっという間に崩れていく。

信頼されるより、信頼され続けることはもっと大変だからこそ、信頼のメンテナンスは、まめに慎重に行わないといけない。

また、信頼したいよね。

仲間との共同作業は、お互いの信頼関係に基づく…。

て、言うのは簡単だけど、信頼するって難しいし、覚悟がいるよ。

お父さんは、本当のところ誰かを100%信頼したことはないし、これからもないと思う。

脳を信頼モードにして、思考回路を切断すれば、信頼するのは容易だけど、そういう訳には行かない。

ちょっとしたことで、泣いたりわめいたりする人は、他人への信頼ハードルが低いからだと思うよ。

簡単にハードルを超えて、信頼スイッチをONにするから、故障頻度が高くなる。

信頼と裏切りはセットだから。

裏切りなんて言うと大げさだけど、皆、自分や家族が一番だから、一番な人や事を大切にした結果、他の人には思いもよらないことが起こることだって、当然あるよ。

だから、どこかであきらめる。

そして、信頼するって、裏切りを含めたことだと思わないといけない。

「人を見る目がある」って人の能力だけでなく、信頼に足りるか判断するってことだから。

人を見る目を養うには、たくさんの人と接して、経験を積むしかないと思う。

ただし、漠然と付き合いを重ねるのでなく、自分が信頼を得られる努力をしながら、同じ目線で人を見るといい。

武勇伝的に「仲間だから、困った時には助ける」「あいつを信頼しているから、何も言わずにお金を渡した」なんて語る輩がいる。

「信じることが、成功する証」って繫がるんだけど、これは、Vシネマの観すぎだから。

薄っぺらい信頼関係で、お金を絡ましたら、お金がいくらあっても足りないから。

言葉だけの信頼関係は、簡単に見透かされる。

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去る金は追わず

お金は、「消費」「投資」「浪費」に分けて使う。

今回は、みんな大好きな浪費の話。

浪費は、基本無駄遣いだよね。

無駄遣いに見返りを求めてはいけない。

使いっぱなし。

遣ったことを後悔せずに、さっぱりとあきらめる。

遣ったお金は、戻ってこないのだから、遣ったことを悔やんでもしょうがないのに、思い出にふけるように、あきらめきれない。

気に入った女性を口説くために、さまざまなプレゼントを贈ったけど、相手にされなかった男がいる。

付き合えないとわかった途端に、今までに贈ったプレゼントを返して欲しいと女性に言った。

男は、付き合える前提でプレゼントを贈ったけど、付き合わないのならプレゼントを返してもらって当然と思っている。

男はプレゼントを女性と付き合うための投資と考えていた。

でもね、付き合えないとわかった時点で、浪費に決定なの。

そもそも、女性は最初から投資されてるとは考えていない。

勝手に貢がれている(浪費されている)と思っているだけ。

プレゼント=投資

と考えたところから間違えで、他人に対して見返り(投資)を求めてはいけない。

見返りを想定した、人付き合いはダメなの。

結局のところ、女性はプレゼントを返したらしいけど、男はフラれて、プレゼントを返してもらった自分史を刻んだ。

こんな男は、モテない以前に話にならない。

極端な話だけど、人は多かれ少なかれ、浪費に後ろめたさや後悔をする。

だから、「自分へのご褒美」なんて言い訳して浪費するの。

しかし、戻ってこないことに、言い訳や後悔をしてもしょうがない。

そう思って、やり過ごすべきなの。

お父さんは、それなりに浪費してきたけど、「今、なんとか生活してるからいいか」と思うようにしている。

貯蓄や投資は、生活する基本として必要なものだし、友達(お金)を連れて戻ってくることもあるから、魅力的でもあるんだけど、浪費も必要。

そして、遣ったことを後悔しない。

去っていったお金は追わない。

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普通って

普通って何?

歳を重ねるごとに、わからなくなる。

普通って、パッと聞くと、そのまま聞き流してしまう言葉。

そして、いろいろな思いや考えの人々がいるとわかっているのに、簡単に普通って言ってしまう。

もちろん、平均値が普通であるわけがない。

「普通の行動じゃないよね」

「普通は言わないよね」

「普通の結婚がしたい」

なんてね。

どれもこれも、普通って自分基準のことなんだよね。

自分の基準が普通になる。

最近、本当にいろいろな価値観の人がいるなって思うんだ。

もちろん、急にいろいろな人たちが増えたわけではない。

今までは、周りを見ていなかったか、自分と異なる価値観には、あえて目を背けていたのか、どっちかだったのだろう。

たぶん、後の方だと思うけど。

お父さんは交友関係を広げるつもりもなく、価値観の合わなそうな人を避けてきた。

だから、自分基準で考える普通じゃない人が、周りにあまりいないと思ってきた。

ところが、知人には、散財しすぎて何億円の資産を数年で使ってしまったり、家庭があるのに、奥さんに公認させてもう一つ家庭を持ったり、30年間夫婦生活を送ってきたのに、年の離れた女性と駆け落ちしたり、毎年、1つの百貨店だけで1億円以上買い物する物欲モンスターがいたりする。

価値観の違いを超越した、普通じゃない人たちが周りにいる。

「類は友を呼ぶ」ルイトモの法則によれば、お父さんもヤバい人の一味かもしれない、笑。

弁明すると、お父さんは、こんな人たちを反面教師としていた。

例えば、物欲モンスターさんの話を聞くと、まったく物欲が湧かなくなるし、家庭を大事にする気持ちが強くなったりした。

「普通」の話に戻すと、普通って、変わっていないことやありふれたものではなく、自分の思いを肯定することなんだよね。

だから、人の数だけ普通がある。

他人の思いや行動に違和感を感じても、「あの人の普通って、これなんだ」くらいに解釈すると、カリカリ、イライラすることも減るって、最近わかった。

世の中、いろいろな普通があると思って、人と接したい。

そのうえで、自分に害を及ぼしたり、気分が悪くなる「普通」な言動をする人とは付き合わなければいい。

これも、楽に人付き合いする方法のひとつじゃないかな。

普通って思われたり、言われることを嫌がる「特別な人になりたい願望」の人もいるけど、このタイプの人は、あえて無謀と思われるような言動をしたり、目立とうとするね。

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