遠回りする

目的地に真っ直ぐに向かうより、遠回りしたり、寄り道した時のことばかり覚えている。

学生時代に5ヶ月かけて、オーストラリアをバスで旅した。

街に着いてから、次の目的地を決めるような、目的のない旅だった。

今でも、バスの窓から見た景色や人々を思い出すことがある。

時間はあってお金がない旅だから、一番安価に移動できるバスを利用したのだけど、飛行機や特急列車での移動では、経験できないことだらけだった。

この旅を、なぜこんなにもいろいろと覚えているのか、考えたんだ。

まずは、時期。

この旅が、初めての海外旅行だったから。

飛行機に乗ったのも初めてだった。

だから、すべてが新しくて、未経験の塊にどかっと触れたみたいなものだった。

そりゃー記憶に残るよね。

次に、一人旅だったから。

所々で、知り合った人はいたけど、いつも一人。

時間はあるし、言葉はわからないし、一日中、想像と妄想の繰り返し。

どこに行っても、目、耳、脳はフル回転していたと思う。

旅の思い出をつくりたかったら、一人旅をすすめる。

パートナーとの旅はパートナーとの思い出フォルダに入るけど、一人旅は旅フォルダーだから。

フォルダーが違うから。

そして、寄り道ばかりの旅だったから。

A地点からB地点まで、最短最速で移動するのと、A地点からB地点までの途中、C地点やD地点に寄ってから到着するのでは、体験の絶対量が違うよね。

寄り道すると、移動も楽しめる。

子供の時から、「寄り道は楽しい」って決まってる。

オーストラリアの旅の話をしたんだけど、楽しかったり、記憶に残ったりする寄り道が「人生」、「生き方」になると、残念な扱いになるんだよね。

みんなA地点からB地点まで、最速で効率よく到達できる道を選び、それが賞賛されたりする。

本当のところ、お父さんも、いつもA地点からB地点まで最短ルートで行きたいと思っている。

でもね、上手くいかないことだらけなの。

そんな時、寄り道のことを思い出すようにしているんだ。

「今は、寄り道の途中、景色を楽しもう」って。

「遠回りをして、余分に楽しんでる」って。

実際には、今どこにいるかさえ、わからないもの。

だからこそ、わからないことを含めて、上手くいかない時の気持ちの対処法として、「遠回りして楽しむ」っていいんだよね。

思い込み、大切だから。

最終的には、ちゃんとB地点に到着するぞって思いも強くなるし。

何より、さまざまな経験が人の厚みになる。

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素人の発想

職業人・専門家、いわゆるプロが考えたものより、主婦の思いつきで、小学生の発想で、街の発明家によって、いわゆる素人が考えたモノがヒット商品になることがある。

職業人・専門家、いわゆるプロは、どんな商品が売れるのか、この技術を使ってどんな商品ができるのか、この商品をどんなところで、どんな人に売ったらいいのか、どうやって知ってもらうのか、というようなことを毎日、何時間も考え続けている。

普通は、素人が、知識も経験も時間もかけているプロに勝ることなどないはずだ。

ところが、素人企画が受けてしまうことがあるのだ。

しかも、ここで言う素人とは、プロに近く、プロを目指しているようなレベルではない。

Jリーグのチームを破る大学生のチームではなく、サッカーの経験がないようなアマチュアがJリーグのチームに勝利してしまうようなことである。

お父さんは、この手の成功談があまり好きではない。

このような成功談は、「プロが思いつかなかった、素人ならではの発想」的な称賛で締められる。

ただ、素人企画でヒット商品が生まれるのも事実である。

そんな時に、賢者たちは「今、素人の目線を持てる、プロが求められている」とつぶやいたりする。

ここでは、素人の企画や思いつきではなく、目線や視線となる。

こちらの方が、何となくスッキリする。

サッカー未経験者が勝利するのではなく、Jリーグのチームに強くなるアドバイスをする感じだろうか。

実は、プロほど、安心、安全、便利な機能や付属品をつけたくなってしまう。

だから、世の中、使いこなせない機能満載の商品が溢れている。

そこで、素人目線で、必要な機能に絞ったり、機能を疑った商品がヒットする。

結局のところ、素人の発想とは、「選別能力」のことじゃないかな。

専門的になるほど、何かを絞る作業は難しくなるし、勇気が必要になる。

今回の話で伝えたいのは、プロとしてプライドを持って仕事をすべき。

一方、素人の目線(選別能力)は必要ということなんだ。

選ぶことに慣れていない人にとっては、選択肢を制限する、もしくは無くすことが必要なことがある。

10種類のジャムを揃えたお店より、選ばれた3種類のジャムしか扱っていないお店のほうが売上が高いことがある。

いわゆる「ジャムの法則」

数多くの選択肢があるより選択肢を絞った方が、効果があると言われているからね。

プロになるほど、失敗した経験や、安全にという名目で武装したくなるの。

人生の選択肢も絞った方が、自分で選びやすくなるかもよ。

仕事に慣れてきたら、素人目線の選別を意識したい。

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時間に気前がいい    

以前、「ケチ」について書いたけど、ケチには、お金の使い方以外にも付属的な特徴がついてくるんだ。

そんな特徴の一つが、ケチな人は「時間に気前がいい」ということ。

お金にはシビアだけど、時間は、バンバン使う。

例えば、10円単位で安いモノを買うために、開店前から並んだり、交通手段の選択は、金額優先だから、有料道路を使わずに一般道優先だったりするんだよね。

そもそも、時間もお金と同じく、有限なことをわかっていない。

だから、お金の扱いとは、真逆で、時間に対しては大盤振る舞いして、時間を使うことに、「もったいない感覚」はないの。

お父さんは、ラーメン店に1時間も並んで食べる感覚がわからない。

ラーメンだけでなく、食事をするのに並ぶ気持ちがわからない。

混雑が予想できる日や場所に出かけるモチベーションが、わからない。

少しでも安く買うために、充血しそうなくらい凝視して、パソコンのキーを叩く執念が、わからない。

学生なら、ラーメン店に1時間並んでも、クリスマスのディズニーランドでフラフラになっても、待っている時間さえも楽しいかもしれないよね。

しかし、社会人になると、1日最低8時間は、仕事のために使わないといけないから、明らかに学生時代とは、時間の使い方が違ってくる。

だから、大人になったら、時間を気前よく使うわけにはいかないんだ。

反対に、時間にケチになるのも、ちょっとどうかと思う。

ボーっとする時間や何もせずに過ぎてしまう時間は大切だと思う。

時間にケチになると、いつも時間に追われて、余裕がなくなる。

忙しそうに見える人は、信頼感がなさそうで、損するよね。

実際に、忙しそうに働いている人で、仕事ができる人に出会ったことがないし。

時間に気前よくならず、ケチにもならず。

塩梅がわからないよね。

結局、お金の使い方に似ていると思う。

時間もお金も、自分のために、自分のおもいを実現するために使う。

若い時は、時間が有限だって頭では理解していても、感覚的にピンとこないよね。

人生の終わりについて、イメージできない。

今までの時間より、これからの時間の方が長いし、日々の忙しさで大変なのだから、終わりのことを考えられないよね。

これが、普通だし、健全なことだと思う。

だけど、時間の使い方について、ちょっと意識したらどうかな。

お父さんは、50歳を過ぎて、時間について考えるようになった。

なんとなくだけど、人生の終わり方がイメージできる歳になったんだね。

正直なところ、20代、30代に時間の使い方を真剣に考えて暮らすとどうなるのか、わからない。

だから、太郎にやってみてほしい。

自分ができなかったことを託す、親の願望になってしまうけど。

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鈍感力

ずいぶん前から鈍感力が注目されている。

元来ネガティブ系のワード「鈍感」がポジティブに捉えられている。

これだけ情報が溢れて、いつ、何で炎上するかわからない時代に生きていると、鈍感であったほうが生きやすい。

鈍感の反対は敏感。

お父さんは、自分は敏感だと思っている。

敏感だから気付くこともあるけど、ちょっとしたことに、反応したり、過剰に意識してしまう。

ところが、鈍感な人が羨ましいかというと、そうでもない。

お父さんは、これと言った特殊能力がない普通の人だから、敏感も生きる一つの術だと思っている。

だから、理想は、鈍感スイッチ。

気にしたくない、無視したいような出来事に直面したらスイッチをオン。普段はオフ。みたいに自由にオン、オフできるスイッチを持つことかな。

でもね、そんなに簡単なものではないよね。

「人の目を気にしない」

自分が思っているほど、人は見ていないよ。

これ、本当だと思う。

髭を生やしている人が、髭を剃って現れても、皆、髭がないことに気づかないの。

他人の外見など、どうでもいいんだよね。

「意外とあなたを見ている」

これも、本当なんだな。

他人に癖や習慣を覚えられていることがある。

自分ではわからないことも。

どこをどのくらい見ているかにもよるけど、他人から、思っているほど見られていないし、予想以上に見られているってこと。

どっちもあるってことなんだ。

なんだか、まとまりがなくなってきたけど、「基本は敏感ベースで鈍感な部分も持ち合わせている」のがいいかな。

また、鈍感力=打たれ強さ ではない。

打たれ強さは受け止める力。

鈍感力は気づかない能力もしくは、受け流せる能力。

打たれれば、どんなに強くても効いてくるけど、受け流せれば、ダメージはない。

鈍感スイッチが欲しいけど、鍛錬すれば、手に入れることができるのだろうか。

そんなスイッチがあれば、どれだけ人間関係が楽になるのだろうか、笑。

正直なところ、どうやって手に入れるのかわからない。

だから、わからないなりに、鈍感スイッチをONにするイメトレをする。

鈍感力、加減が難しいけど、これは武器になる。

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偶然好き  

「偶然好き」って公言している。

好きすぎて、自ら偶然が起きるシチュエーションを作っているくらい。

例えば、海外旅行に行く時も、下調べは最小限。

事前に調べ尽くして、綿密な予定通りに旅する人が多いと思うけど、お父さんは真逆。

事前に調べて予約するのは、航空券、宿泊するホテルと到着した空港への車の手配くらい。

観光名所や現地で有名なモノ、食事などはいっさい調べない。

よっぽど有名な情報は、調べていなくても耳に入ってくる。

現地の情報は、現地に着いてから現地の人に聞いて得る。

それで、勧められた場所に行くことになっても、その場で手配する。

食事するレストランは、まず事前に調べない。

ホテルのコンシェルジュに相談したり、街で見かけたお店を予約したり、予約なしで訪れる。

何で調べないかというと、調べると偶然性が薄まるから。

情報なく入ったお店で、サービスよく、美味しい料理を食べることができたら、調べて入ったお店より楽しく感じる。

また、どんなお店かわからない、不安と期待でドキドキすることも楽しんでる。

好きな曲をプレイリストに入れて聞くのと、偶然ラジオから流れてくる。

どっちがテンションあがる?

好きな曲を聞くという行為は一緒でも、そこに偶然が絡むと、脈拍数があがるよね。

今は、ほとんどの物事は簡単に調べることができる。

それは、便利だし安全だし、否定するつもりはない。

でも、同時にストーリーに共感する時代だと思う。

共感するストーリーは、予定通り進まず、困難や失敗を経験した末に成し遂げるものだよね。

そんなストーリーに偶然は必要なんだ。

グッドストーリーになる最高のスパイスが「偶然」なんだよね。

そして、「偶然」を気にしながら過ごすと、嗅覚が鋭くなって、感性が磨かれる。

お父さんは、どこの国に行っても、店構えで、そのお店のサービスや料理の質がおおよそ予測できる。

おそらく、ネットのグルメサイトより、自分好みのお店は、高い確率で判断できると思う。

「偶然」を意識して、感性が磨かれると、間違いなく情報選別能力があがるんだよね。

情報収集をしないと、選別能力があがるって、おかしな話だけど。

また、「いい偶然」を経験すると、記憶に残る出来事が増える。

やらかすこともあるけど、「偶然」は人生に刺激を与えてくれる。

偶然を追求するとストリートに行き着く。

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副業禁止

副業を就業規則でOKとする会社が増えていると聞く。

ちょっとググっても、「空いた時間に」「スマホで簡単に」「会社に頼らない普遍的な収入を」「スキルや視野が広がる」なんて言葉で副業を誘っているサイトが多くある。

でもね、副業ダメだから。

ハンパに働いても、収入は増えないし、視野も広がらない。

副業を積極的に勧める奴らの大好きな言葉「人脈」なんて、まぼろしだから。

カモられたやつが、次のカモを見つける集まりだから。

企業でも事業資源を基にした多角化ではなく、本業と関係のない事業が行われることがある。

まあ、こんな多角化で成功した例は少ないと思う。

仕事が上手くいかなかったり、収入に満足できなかったり、将来に不安を感じた時に、自分の今のポジションに留まりながら、他の仕事に手を出しても上手くいかないことは、みんなわかっていると思うんだ。

でも、現状打破を目論んで、人生が好転するよう、何かをしたくなるんだよね。

そんな気持ちは、すごくわかる。

でもね、どう動くかを考えなくてないけない。

そして、それは、副業を始めることではない。

仕事の仕方を変えてみたり、新たなスキルや資格を取得するために勉強したり、転職を考える方向に動くべきだと思うよ。

いつも「いかにエネルギーを分散させないか」を考えている。

元々たいしたエネルギー量がないのに分散させたらダメだと思っている。

分散させたらもったいないよ。

だから、副業なんかもってのほか。

100%本業に打ち込むべき。

副業する時間があるのなら、遊んだり寝た方がいい。

休養は活力の源だから。

昔、しばらく会っていなかった友人から連絡があって、会ったの。

会うなり、ネットワークビジネスの勧誘が始まったんだ。

自分が今している副業のすばらしさを熱く語っていた。

そもそも、お父さんがマルチだとかネットワークビジネスには、まったく興味がないタイプだと見抜けないことが、センスがないよね。

「Win Win」な関係だから。

なんて勧誘されると、鳥肌が立ってしまう。

本業がんばろうよ。

本業に集中しようよ。

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お金がすべてだった

バブルが崩壊して、しばらく経つまで。

平成10年くらいまでだろうか。

お金がある、ないが優劣の基準だった。

信じられないけど、ほぼゞ、すべての物事で。

バブル時の話は、お伽話みたいでしたくないんだけど、お金の物差ししかなかった時代だった。

お金以外の価値観について語ったところで「貧乏人がひがんでいる」くらいに思われるのがオチだったの。

例えば、乗ってる車で道路上での振る舞いが違うんだ。

ベンツに乗っていれば、無理な割り込みもし放題。

前後の車なんか車間距離を必要以上にあけたりして、周りの車が気を遣うの。

軽自動車に乗ってれば、幅寄せされるは、クラクションは鳴らされるはで、みじめな思いをする機会が多かった。

今では考えられないよね。

軽自動車だから、ベンツに道をゆずるなんてないもの、笑。

「車ヒエラルキー」とか「車カースト制度」なんて言ってね、お金階級社会だもの。

そして、みんなが自信に満ちていた。

当時学生だったお父さんが知り合った女性が、後ろに倒れそうなくらいのけぞりながら「私の父親は◯◯銀行の支店長だから」って、自慢話をし始めたことがあった。

◯◯銀行って聞いたことのない東海地方の地方銀行だから。

別に自慢するようなことでもないし、自慢できることでもない。

でも、当時は、みんなが自慢合戦をして、こんな話ばっかりで、今思えば笑っちゃうことでも、感心していたんだ。

きっと、お金の力に惑わされて、酔わされて、簡単にすごい人と思ってしまっていたんだよね。

昭和の終わりには、「お金は、とても大切なもので、すべてだから」

だったんだから。

今では「お金は、大切なものだけど、すべてではない」

だよね。

でもね、実は世の中は複雑化して、賢いお金持ちは、お金の力を隠すようになったんだ。

バブルの時は、単純なの。

持っている以上に大きく見せて力を誇示してたんだけど、今は隠しながらお金の力を使うの。

しかも、バブルの時よりお金の価値があがっているから、お金持ちたちは、より力を得た。

いつも言うけど、肯定的にお金の力を使いたい。

同時に、お金をどう使うかセンスが問われる。

いつの時代でも、お金を上手く使えば、生きやすい。

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ほめる

ほめられると嬉しいよね。

自分がされて嬉しいことは、したほうがいい。

また、ほめると好循環を生むんだよね。

敵意は敵意で、悪口は悪口で返ってくるし、

同じように好意は好意で返ってきて、ほめればほめられる。

ちょっとした変化に気づいてくれて、ほめてくれる人は、好意をもってくれているはず。

よく見てくれているんだもの。

そういう人は、大切にしたほうがいい。

そして、同じように変化を敏感に感じとって、ほめる。

ちゃんと言葉で伝えないとダメなの。

ところが、今どき、一歩間違えた伝え方をすると、パワハラ、セクハラ扱いになるから難しい。

これ本当に難しくて、ある人からほめられたら嬉しいけど、こっちの人からほめられたら気持ち悪いなんてことがある。

だから、日頃から気持ち悪がられないキャラクターになる努力をしろってことになるんだけど、笑。

良いほめ方って、「さりげない言葉でタイミングよく」だと思うんだ。

言葉選びやタイミングをはかることは、修練が必要だけどね。

さらっと言えて、当たり障りのない言葉を選んだり、変化を見つけた時、すぐにほめたほうがいいのか、「この前の◯◯、よかったね」なんて時間をおいて、ほめたほうがいいのか、経験が必要だよね。

また、ほめるって恥ずかしいと思ってしまうこともあるからね。

お父さんの経験で言うと、一番ほめやすいのは、同性の後輩に対してなんだ。

だから、まずは同性の後輩のいいところを見つけて、ほめてみることから始めることをススメたい。

「ほめて育てる」と言われているように、人を育てる時の一番の栄養素は、ほめることだから。

後輩など目下の人たちには、どんどんほめるべきだね。

反対に一番難しいのは、同性の先輩かな。

「上から目線」的に捉えられてもまずいし、お世辞使いだと思われても嫌だし。

でも、上手く捉えてもらえば、風通しのいい関係が築けること間違いない。

ほめられた時はどうしたらいいかな?

これは、シンプルに「ありがとう」とだけ言えばいい。

照れ隠しのような余計な言葉は必要ないの。

恥ずかしいなら「あ、ありがとう」と「あ」を付け加えるんだ。

「あ」が付くだけで「ありがとう」がちょっとマイルド化されるから。

「あ」は便利だよ。

いろいろと応用できて。

顔は覚えているけど、名前を忘れている人に会った時にも「あ、こんにちは」って挨拶すると、間ができて挨拶に違和感がなくなるんだ。

究極的には、「あなたにほめられると嬉しい」と思ってもらえる、あなたになれることなんだけど、まずは、ほめよう。

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装い

40歳くらいの時、「もう、一生分の服を買った」とお母さんに言ったら、「いや。五生分の服を買ってる」と言われたくらい、さまざまな服を買ってきたお父さんが服装について語ってみたい。

おしゃれは自己満足。

装いは他者への気配り。

なんて言われている。

その通りで、服飾業界や目立ってナンボの自営業者でないのなら、装いを意識した服装で仕事をするべきだと思う。

おしゃれだと思われなくていい。

装いの基になる考えでT.P.Oって聞いたことあるかな?

Time   時

Place   場

Occasion 状況

の頭文字をとってT.P.Oなの。

時、場、状況を考慮した服を着る。ってこと。

帝国ホテル内のレストランで食事をするのにTシャツ、短パン、サンダル姿ではダメですよ。

海に行くのに、ジャケットを着てては暑いし、場違いですよ。

というようなこと。

T.P.Oの考え方は、まさに他者への気配りにつながる。

そして、T.P.Oに応じた服装の源は清潔感なんだ。

T.P.Oを考慮した服装であっても、汚れた服の肩にフケが積もっていては論外だよね。

どんなに値段の高い服を着ようがカッコつけようが清潔感がなければダメなの。

逆に言えば、清潔感を感じられる服を着ていれば、それだけでOKなんだ。

そのくらい清潔感は大切なんだ。

そして、清潔感は年齢とともに、より気を使わないといけないと思っている。

10代を基準として20代は10代の2倍気を使う。

30代は3倍、40代は4倍。お父さんはもう何年かで10代の6倍気を使わないといけないんだ。

「装い」とは別世界にあると思っているんだけど、パジャマのような服でフラフラしている人がいるよね。

たとえご近所であっても、そんな服装で外出してはいけないと思う。

「装う」以前の問題として、最低限の社会的なマナーがある。

パジャマのような服で外出できる人は、そんな格好から生活が透けて見えてしまう。

一日中テレビをつけて、掃除されていない部屋で暮らしているように思ってしまう。

派手で目立つ格好をする必要はないし、

服装に興味がなくてもいい。

でも、他者への気配りのある、清潔感を感じられる装いをするべき。

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共感の時代 

努力する姿を見せないことがカッコいいとされた時代から、できなくても努力して、一生懸命に進む姿を応援する。

そんな「共感」が大切な時代。

誰もが知っている国民的元アイドル「キムタク」

彼は、平成時代、現在の芸能界では例える人がいないくらい視聴率をかせぎ、若者のファッションに影響を与えるような芸能人だった。

今でも体型も変わらず、相変わらず「キムタク」である。

彼は、まさに努力を見せないカッコよさを追求している代表者のように見える。

でも、時代の雰囲気とズレている。

あのカッコつけは、もはやギャグと思ってしまう若者もいる。

「完璧でカッコいい、オレ」は理解されない時代。

一方、オーディション番組で毎回ふるいにかけられそうになりながら生き残る、一生懸命に頑張る素人を、多くの人たちが応援する。

努力する姿勢に自分を重ね合わせて、応援する。

共感してファンになる。

陰で努力して、クールになんでもこなす人より、泥臭くても一生懸命さを見せながら進む姿に共感するんだから。

こういう時代の雰囲気から学べることは、「できないこと、上手く立ち回れないこと」など、まったく気にすることがないってこと。

もしかしたら、最初から「できる」より「上手くできない」から

「努力して上達する姿」の方が大切なくらいだから。

例えば、商品開発でも、「共感」ははずせないコンセプトだよね。

商品の成り立ちを含めて共感してもらうことがヒットにつながるから。

コンビニの新商品開発みたいな番組は、試行錯誤して店頭に商品が並ぶまでの物語に共感してもらう構成だよね。

ところが、こういう共感を欲する時代を逆手にとって悪さするヤツもいるんだよね。

「目的や志、使命に共感してくれ」

みたいなパワーワードを並べるの。

「目的や志、使命に向かって、努力している姿に共感」するのであって、言葉だけの共感詐欺をするわけ。

共感なくして人気者にもヒット商品にもなりにくい時代だから、

真偽に関係なく、世の中「共感」だらけになってしまう。

でもね。

共感が必要なのは間違いないの。

熱意を感じる姿勢は、必ず共感される。

クールに装う時代ではないんだ。

本当はいつの時代もそうで、カッコよさの目線が変わっただけかもね。

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