以前、「ケチ」について書いたけど、ケチには、お金の使い方以外にも付属的な特徴がついてくるんだ。
そんな特徴の一つが、ケチな人は「時間に気前がいい」ということ。
お金にはシビアだけど、時間は、バンバン使う。
例えば、10円単位で安いモノを買うために、開店前から並んだり、交通手段の選択は、金額優先だから、有料道路を使わずに一般道優先だったりするんだよね。
そもそも、時間もお金と同じく、有限なことをわかっていない。
だから、お金の扱いとは、真逆で、時間に対しては大盤振る舞いして、時間を使うことに、「もったいない感覚」はないの。
お父さんは、ラーメン店に1時間も並んで食べる感覚がわからない。
ラーメンだけでなく、食事をするのに並ぶ気持ちがわからない。
混雑が予想できる日や場所に出かけるモチベーションが、わからない。
少しでも安く買うために、充血しそうなくらい凝視して、パソコンのキーを叩く執念が、わからない。
学生なら、ラーメン店に1時間並んでも、クリスマスのディズニーランドでフラフラになっても、待っている時間さえも楽しいかもしれないよね。
しかし、社会人になると、1日最低8時間は、仕事のために使わないといけないから、明らかに学生時代とは、時間の使い方が違ってくる。
だから、大人になったら、時間を気前よく使うわけにはいかないんだ。

反対に、時間にケチになるのも、ちょっとどうかと思う。
ボーっとする時間や何もせずに過ぎてしまう時間は大切だと思う。
時間にケチになると、いつも時間に追われて、余裕がなくなる。
忙しそうに見える人は、信頼感がなさそうで、損するよね。
実際に、忙しそうに働いている人で、仕事ができる人に出会ったことがないし。
時間に気前よくならず、ケチにもならず。
塩梅がわからないよね。
結局、お金の使い方に似ていると思う。
時間もお金も、自分のために、自分のおもいを実現するために使う。
若い時は、時間が有限だって頭では理解していても、感覚的にピンとこないよね。
人生の終わりについて、イメージできない。
今までの時間より、これからの時間の方が長いし、日々の忙しさで大変なのだから、終わりのことを考えられないよね。
これが、普通だし、健全なことだと思う。
だけど、時間の使い方について、ちょっと意識したらどうかな。
お父さんは、50歳を過ぎて、時間について考えるようになった。
なんとなくだけど、人生の終わり方がイメージできる歳になったんだね。
正直なところ、20代、30代に時間の使い方を真剣に考えて暮らすとどうなるのか、わからない。
だから、太郎にやってみてほしい。
自分ができなかったことを託す、親の願望になってしまうけど。