将来の夢を語る。
5年後、10年後、いや、もっと先の夢を語る人がいる。
夢を語れないより、語れるほうがいいかもしれないけど、遠くを眺めるのが好きな人がいる。
夢や目標を想定し、10年手帳に道筋を書き、時に酔いにまかせて語る。
これはこれで立派だと思うけど、ほぼすべての人たちは、どんな夢かすら忘れて屍とかす。
お父さんは、年末に来年の目標を考える。
「人の悪口を言わない」「字を丁寧に書く」なんて、がんばれば達成できそうな目標。
ところが、年が明け1月の中旬には、どんな目標だったか忘れてしまっている。
毎年、これの繰り返し。
来年の目標ですら、この有様だよ。
マクロ的な予想や評論をする。
将来の超高齢化社会を踏まえた事業がどうとか、AIの発達による職業がどうだとかいう人がいる。
将来の予想があたるかどうか、わからない。
それでも、そんな予想にそった行動をすれば、いいけど。
予想や評論をして、将来をなげくだけの人がほとんど。
自分の人生なのに、ワイドショーのコメンテイターみたいに、言い放しで満足してどうなんだろう。
将来の夢や予想を語ってもいいけど、とかくこの手の人たちは、今日、明日を雑に生きている印象がある。

夢や将来の予想を語るより、日々の歩み、行いをおろそかにしないことが大切なんだ。
そりゃぁ、目的地や目的地の予想をすることは必要だよ。
でもね、すべてのことは、今行っていることの積み重ねの結果なのに、日々の行いを甘く見てしまうことが多い。
遠くばかりをみずに足元をみる。
1歩1歩をしっかりと踏みしめる。
そんな気持ちで、今日できることを今日行う。
遠くは、たまに見るくらいで十分。
最後に一つ注意することがある。
今日中にできない仕事が続くようなら、容量を超えているのか、効率よく仕事できていないかのどちらか。
こうなると、夢や将来を語るどころではない。
一度、立ち止まって、上司に相談するべきだと思う。
一歩づつ歩む道はひとつではないから。
そんなことを含めて、足元をみる。