好奇心と言えば聞こえがいいけど、何でもかんでも知りたがる人がいる。
知りたがる対象が他人の、
勤務先、家族構成、趣味、出身校…
今のことだけでなく、過去のことまで知りたがる。
今回は、他人を詮索しないって話。
「人」にとても興味がある。
お父さんは、旅行に行っても、世界遺産よりそこで暮らす人々の方が興味あるもの。
観光に行くより、カフェで道ゆく人々を眺めているほうが楽しいくらい。
しかし、興味があるのと詮索するのは別。
そして、知り急いで、知りたがってはダメなの。
だって、他人のことを知りたいって、たんなる個人的欲求だから。
テレビのワイドショーは、この欲求で成り立っている。
誰が結婚した、離婚した、事故を起こしたなんて、自分にはまったく関係ないんだけどね。
以前、車のディーラーで試乗した時、隣に座った若い営業マンが、やたらと質問してきたことがあった。
今乗っている車は?過去に乗っていた車は?家族構成は?って、
太郎の在学している学校名まで聞いてきたよ、笑。
おそらく、この若い営業マンは上司から、「お客さんの情報を知れば知るほど的確な提案ができる」なんて言われていたんだと思う。
お父さんも、お客さんの思考と自分の思考が同期化できれば、ハズした提案をしない。
と思う。
しかし、それは詮索して知るのではなく、身なりや態度、雰囲気から想像するものなんだ。
そこに早く気づかないと、この若い営業マンは熱意が空回りしたままで、もったいないよね。
仕事でも、知り急いではダメだから。

また、詮索好きで知りたがりの人ほど、知ったことを皆に話す。
そしてまた、知ったことで嫉妬したりするからタチが悪い。
お父さんは、この詮索好きの習性を利用することがある。
例えば、誰かを褒めたい時、詮索好きに大袈裟に話す。
そうすると、勝手に広めてくれる。
直接褒められても嬉しいものだけど、間接的に聞くと、嬉しさが増幅するんだよね。
基本的に他人の生活や人生は、自分には関係がないもの。
個人的な事情を知っても、どうしようもできない。
だから興味本位で、知ろうとしない。
聞かなくても、人は話したいことは、話してくれる。
知る必要がないことは、知らなくていい。