普通って何?
歳を重ねるごとに、わからなくなる。
普通って、パッと聞くと、そのまま聞き流してしまう言葉。
そして、いろいろな思いや考えの人々がいるとわかっているのに、簡単に普通って言ってしまう。
もちろん、平均値が普通であるわけがない。
「普通の行動じゃないよね」
「普通は言わないよね」
「普通の結婚がしたい」
なんてね。
どれもこれも、普通って自分基準のことなんだよね。
自分の基準が普通になる。
最近、本当にいろいろな価値観の人がいるなって思うんだ。
もちろん、急にいろいろな人たちが増えたわけではない。
今までは、周りを見ていなかったか、自分と異なる価値観には、あえて目を背けていたのか、どっちかだったのだろう。
たぶん、後の方だと思うけど。
お父さんは交友関係を広げるつもりもなく、価値観の合わなそうな人を避けてきた。
だから、自分基準で考える普通じゃない人が、周りにあまりいないと思ってきた。
ところが、知人には、散財しすぎて何億円の資産を数年で使ってしまったり、家庭があるのに、奥さんに公認させてもう一つ家庭を持ったり、30年間夫婦生活を送ってきたのに、年の離れた女性と駆け落ちしたり、毎年、1つの百貨店だけで1億円以上買い物する物欲モンスターがいたりする。
価値観の違いを超越した、普通じゃない人たちが周りにいる。
「類は友を呼ぶ」ルイトモの法則によれば、お父さんもヤバい人の一味かもしれない、笑。
弁明すると、お父さんは、こんな人たちを反面教師としていた。
例えば、物欲モンスターさんの話を聞くと、まったく物欲が湧かなくなるし、家庭を大事にする気持ちが強くなったりした。

「普通」の話に戻すと、普通って、変わっていないことやありふれたものではなく、自分の思いを肯定することなんだよね。
だから、人の数だけ普通がある。
他人の思いや行動に違和感を感じても、「あの人の普通って、これなんだ」くらいに解釈すると、カリカリ、イライラすることも減るって、最近わかった。
世の中、いろいろな普通があると思って、人と接したい。
そのうえで、自分に害を及ぼしたり、気分が悪くなる「普通」な言動をする人とは付き合わなければいい。
これも、楽に人付き合いする方法のひとつじゃないかな。
普通って思われたり、言われることを嫌がる「特別な人になりたい願望」の人もいるけど、このタイプの人は、あえて無謀と思われるような言動をしたり、目立とうとするね。