世の中には、能書きが溢れている。
また、能書きが必要とされている。
最近は、ちょっといいレストランで食事をすると、ほぼ「この□□は、◯◯産です」というような、産地の説明をされる。
加えて、味付けや調理方法など、どこで取れて、どのような調理をしたのか説明してくれる。
素材などの背景を伝えることで、料理の美味しさを詳しく説明(説得)しているわけだ。
お父さんは、ギネス級の早食いだから、1品を食べる時間より説明の方が長いなんてザラにある。
お寿司屋さんでは、お客さんから「これは◯◯産?」なんて質問をするグルメな方々に遭遇する。
そもそも、◯◯産だから何なんだろうか?
味付けや調理方法の説明が必要なんだろうか?
美味しいか、不味いかだけでよくないか。
そこに、能書きは必要ないと思う。

一昔前、ワインがブームになった時、フレンチやイタリアンレストランでは、ワインの蘊蓄を自慢する輩だらけだった。
産地や何年ものといった知識の披露から始まって、そして、飲みながら味の批評をする。
正直に言って、この手の輩が苦手。
誰かを好きになる前にどういう生まれで、出身校はどこで、付き合いながら相手を批評するヤツをどう思う。
これと同じだよ。
美味いか、苦手か、好きなタイプかそうでないのか。
それだけでは、ダメなのかね。
ただ好きかどうかだけじゃないの。
好きになるのに能書きは必要ないよ。
料理バトルや格付けのテレビ番組が人気となり、食事を提供する側もお客さんも食べ物の背景を説明し、されることが浸透したと思う。
そして、ミシュランガイドやグルメサイト。
今や誰もが、味を批評してそれを当たり前のように点数化したりする。
みんな、誰がどんな基準でつけたかわからない点数を信じて踊らされている。
これが時代だというなら、逆張りしてほしい。
黙って食べて飲んで、一言「美味しい」と言う!
それに、能書き好きは、ほぼややこしいヤツだ。
付き合うと疲れるよ。