「比較する」って。
悪い感じで使われることが多いよね。
例えば、「幸せ」で考えてみる。
幸せの感じ方は、「絶対」と「比較」があると思うの。
絶対とは、誰がなんと言おうが、一般的な価値観とか関係ない。自分が幸せと思ったら、それでいい。
働かなくて、ギャンプルばかりして、暴力をふるうような相手であっても、本人が幸せを感じるなら、一緒にいればいい。
そこに、他人の目や相手の評価は関係ないよね。
比較とは、「あの人の境遇に比べれが、自分はマシ」と思ったり、「昔の自分に比べれば、今の方がいい」みたいな、他人や過去の自分と比較して幸せを感じる。
とかく世の中の、なんちゃって賢者たちは、絶対な幸せが本当の幸せで、比較で成り立つ幸せは幻想みたいに言うんだけど、お父さんは、そんなふうに思わない。
だって、比較した方が楽だし、例え幻想であっても、幸せは幸せだし。
絶対な幸せを感じられるほど、強い人ばかりでもないし。
世間体も気にするもの。

比較して、自分をなぐさめて幸せを感じられるなら、それでいいじゃない。
楽に、気持ちよく生きればいいし、また、比較することでバランスを考えられると思う。
バランスが取れれば、自分の位置もわかるよ。
だから、本当の幸せは、絶対な中にしかないみたいな、絶対幸福原理主義者になる必要はないと思う。
比較することで、他人ばかり気になり自分を見失うようなことがあるから、「比較=悪」みたいな風潮もあるのかもしれないけど、そもそも我々日本人は、他人の目を気にしながら、空気を読む国民じゃない。
そういう社会に生まれて育って、大人になったら「他人の目を気にせず、比較せず生きろ」なんて言われても難しいよね。
ゆとり教育で育って、社会人になったら「社会は厳しいものだ」みたいなこと言われるようなものだから。
だから、お父さんは、比較することに寛容になっていいと思うんだけどね。
そして、理想論や正論をふりかざし過ぎると、つまらない人になるからね。
こわい顔にもなるし。
肩の力を抜いて、柔らかく生きる方法の一つが、比較を上手に使うことだと思う。
特に過去の自分と今を比較して、気持ちが楽になる人生は、悪いもんじゃないと思う。