イチローいわく「打率は日々変動するもの、だからヒットの積重ねを意識する」
この発言を引用しながら、経営者やブロガー、インフルエンサーは、打席にたつ、たち続ける大切さを説くわけ。
「めげずに営業しろ、何度もチャレンジしろ、断られてもあきらめるな等々、がむしゃらに打席にたってバットを振るんだ」
ってケツを叩くの。
お父さんも、打率ではなく、ヒット数を大切にすることって、大切だと思う。
打席にたたないと、バットを振らないと、ボールに当たらないもの。
だから、まずは打席にたつべき。
打率のことばかり考えて、バットを振らないヤツより、どう考えても振りまわすヤツの方がヒット数も多いと思うよね。
社会人として、打席数やヒット数は正義なんだ。

ところが、お父さんは、打席にたつことが嫌でつらかった。
誰か見ているわけでもないのに、恥ずかしい。
そして、屈辱的な扱いを受けることもある。
打席に多くたっていれば、当然、そういう思いもたくさんする。
やみくもに打席にたつことは、メンタル的にはしんどいし、ある程度の耐性が必要だとも思う。
できれば、最小数の打席で好球必打。
気持ちだけは、一撃必殺狙い。
そんなふうに、ずっと思ってきた。
でもね、やっぱり数多くの打席にたって、バットを振っていないと、球の見極めもできないし、好球がきても一振りで仕留められないんだ。
じゃあ、どうしよう?
今、お父さんが言えることは、「期間と試合前の練習が必要」ということ。
期間とは、何だかんだ言っても、多くの打席にたつ時期が必要なんだ。
それが、経験になるの。
経験をつまないと、どんな打席かも想像できない。
足元の悪い打席を見極められないと、怪我をするかもしれない。
経験を積んでいるからこそ、自分の今の調子がわかる。
経験を通して学ぶことは、大切だよ。
そう割りきって、一定期間は、打席にたちまくるの。
今は、「打席にたつ時期」、この経験が今後役に立つと思えば、我慢しやすくなる。
試合前の練習とは、打席でやみくもにバットを振っただけでは、ヒット数は増えない。
素振り、フォーム固め、ボールの見極め、配球予想など打席にたつ前の練習が必要なんだ。
ヒットを打てる確率をあげる練習と心構えは大切。
ヒット数の積重ねは大切だけど、打率は自分の精神的な防御のためにも、意識するべきだと思う。
多くの打席にたった経験を基にして、打率を意識して、ヒットの予感がしない打席にはたたなくてもいいと思う。
「打席に多くたって、ヒットを打つ」って大切だし正論だけど、だからって誰もがイチローになれるわけでもない。
自分なりのヒットゾーンを追求することが大切だと思う。
今回の話、野球に例えたけど、何にでもあてはめることができるはず。