一般的にプライドって誇りや自尊心といったような意味かな。
正直、プライドは、いい意味で使われないよね。
「プライドが高い」
「プライドが傷ついた」
傷つこうがつくまいが、他人は関係ないよね。
人が寄ってきたり、人気がある人は、無防備な人が多いの。
ちょっと抜けているところがあったり、頼りない部分がある人の方が人をひきつける。
これ、本当だから。
クラスの人気者は、まずこのタイプだよ。
無防備な雰囲気でプライドが高い人は見たことがないな。
人は見た目を演じることもできるけど、無防備な雰囲気を演じるのは難しい。
つねに演じきるのは、アカデミー賞級の俳優でも無理だと思うよ。
それくらい、無防備なたたずまいはつくれないもの。
プライドが高い人の雰囲気は、カドカドして、バリアを張り巡らしているような感じかな。
バリアをはった人には、意見がしにくいし、本人も話を聞かないわけ。
言われたい放題になるのも問題だけど、アドバイスや相談をされない人生はさみしいよ。
また、プライドが高いと人に可愛がられないし、助けてもらえない。
カドばったものに触ると痛いし、撫でられないよね。
持ち上げようと思っても、トゲが刺さるかもしれないし。
チャンスとか運の多くは、人との付き合いから生まれるものだと思う。
チャンスが少なくて運のない人生は残念だよね。
それにプライドが高い人は、おもしろくないの。
生きていくうえで、笑いとユーモアは、とても大切なものだよ。
人を笑わせたり、楽しませることができる人は魅力的だよね。

そうすると、プライドを持ってても、ロクなことないかな?
そんなことはなくて、お父さんは、太郎にプライドをもって生きてもらいたいと思ってる。
正確に言うと、適量で適正なところにプライドをもってもらいたい。
プライドの意味の一つに誇りがあるけど、誇りは自分が行ってきた結果に対してのもの。
例えば、100mを12秒で走る目標に向けてトレーニングをして、結果的に13秒でしか走れなかったとしても、目標に向けて努力した過程は、自分の誇りになるよね。
がんばったことに対して、プライドをもっていいよね。
だから、太郎には自分の過去の行いを積み重ねた、根拠のある誇りをもってもらいたいんだ。
そして、それがプライドになる。プライドを自信に置き換えてもいいよね。
では、プライドの適量は過去の過程や実績分だけでいいかな?
お父さんはプライドの適量は、過去の行いプラス3割増しくらいだと思う。
プラス3割分は将来に向けての燃料。その燃料は向上心とも言えるね。
中学生の時の人気者が高校生になると、それほどでもない。
こんなパターンってあるよね。
これは、本人がなんで人気があったのかわかっていなかったり、高校という次のステージに適応できなかったからだと思うの。
ある種のエネルギー切れだと思うんだ。
3割増しのプライドは自分をアップデートしてくれる力もあるから。
ちなみに「根拠のない自信があります」っていう、根拠のない部分は3割増しの部分のことだから。
プライドと自信、向上心は親戚関係にあるの。
繰り返すけど、プライドは、適量を大きく超えると人生を楽しめなくなるから、注意が必要だよ。
あと、どこにプライドをもつかも大切。
もたなくてもいいところに、こだわるヤツも多いのよ。
ある時、名刺交換した名刺の裏に出身大学が書いてある40歳過ぎのおじさんが、ドヤ顔で仕事と関係のない大学の話をしだしたことがあったんだ、その人は、出身大学にプライドがあるけど、仕事においては、まったく意味のないプライドだよね。
一方、青果店を営んでいる75歳のお客さんは、毎日3時に起きて市場に行き、新鮮な野菜や果物をお店に並べることにプライドをもっているの。
こういうプライドは素敵でしょ。
だから、太郎には、適量で適正なプライドを持ってもらいたい。
そして、プライドは自分の過去の行いの積み重ねが基になると意識して過ごしてほしい。
適切なプライドは、強い意志と明確な思考の素になるよね。